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イエスの昇天と再臨の予告

「イエスの昇天と再臨の予告」 使徒の働き1:9~11     1月14日

 

いまだかつて、イエス以外に天に昇った人はいません。私たちは引力・重力の世界に生きているからです。誰もその支配から免れることはできないのです。

最も、旧約時代に、エリヤという預言者が天に上げられたことが記されていますが、イエスの昇天との違いに関しては後ほど触れることにします。

 

1.イエスの昇天

9節「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた」とあります。物は上から落ちることはあっても、下から上に上がることはありません。しかし、弟子たちが見ている間に、イエスが天に昇って行かれる様子を目撃したことは、イエスは真に神の御子であることの確信をもたらしたことでしょう。

そして、この出来事は、旧約聖書で預言されていたことの成就でもありました。

ダビデは詩篇22篇で、イエスの十字架の死を、詩篇16篇で、イエスの復活を、詩篇24篇で、イエスの昇天を預言しました。

ダビデがすばらしいのは、彼の音楽の才能でもなければ、文才のゆえでもなければ、戦いに勇敢な勇士であったからでもないのです。ダビデが聖書の中で重要な位置を占めているのは、ある先生がダビデの生涯を『悔いくずおれし者』という本にして出版されたことがありましたが、何にもまして神の前に真実に生きることを願い、神に砕かれた魂であったからです。そして、神に砕かれ「悔いくずおれし者」とされたので、救い主のことがわかったのでしょう。ダビデはイエスの死と復活と昇天を預言したのです。

弟子たちは、イエスの昇天を目撃して、イエスは真に神の御子であるとの信仰に確信が与えられて、そのイエスを宣べ伝えるべき使命もはっきりと分かって、震えるような感動を覚えたと思うのです。

 

2.イエスの再臨の予告

イエスが天に昇って行かれるのを見ていた弟子たちに対して、ふたりの御使いが告げました。「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(11節)。

先ほど、天に上げられた預言者エリヤのことに少し触れました。

聖書の記述によると確かに、「たつまきに乗って」ですが、エリヤは天に上りました。

その意味では、イエス以外にも天に上げられた人はいます。しかし、イエスとエリヤの天に上られた違いは、エリヤは天に上げられただけです。預言者の代表とも言えるエリヤに対して神は特別なはからいで天に帰されました。しかし、私たちもこの地上のいのちを終えたならば、天に帰るのです。

しかし、イエスは再び来られるお方なのです。イエスは王として、さばくお方として再び来られるのです。それは、イエスは真の神の御子であるからです。

弟子たちは、イエスの昇天を目撃して、イエスは真の神の御子であるとの確信を深めたことでしょう。しかし、イエスが再び来られるという再臨の約束を御使いから受けて、イエスにもう一度まみえる希望に満たされたのです。希望というのは大事ですね。何を希望としているか、どのような希望を持っているか、とても大事なことです。弟子たちは、もう一度、イエスにまみえるという希望に満たされたのです。

 

イエスご自身が再び来られることをかつて何度も語られました。

「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします」(マタイ16:27)。

そして、どのような時に自分は再び来るのかも知らせなさいました。いつ、イエスが来られても良いように備えていたいと思いますね。

弟子たちはイエスが再び来られるという御使いのことばを信じることができて、地上の生涯にあって、自分たちの果たすべき使命を深く自覚することになりました。イエス・キリストが神から遣わされて、この地上でなされた救いの恵みのみわざを宣べ伝え、イエスの証人とされるべき使命を自覚したのです。

 

21世紀の現代に生きる私たちは、肉体を持たれていた時のイエス・キリストに誰も出会っていません。2000年以上昔の出来事であるからです。しかし、イエスが再び来られる時、私たちもまた、イエス・キリストを拝する時が来るのです。顔と顔とを相まみえて拝することができるのです。イエス様と顔と顔とを相まみえることが許される世界はどんなにすばらしいものかと思います。イエス様と顔と顔とを相まみえるという驚きとしか言いようのない世界に招かれている特権と恵みに、私たちの魂は満ち足ることを得るのです。

イエスの昇天と再臨をしっかり握って、弟子たちがイエスの約束された聖霊のバプテスマを切に祈り求める者たちとされたように、私たちも聖霊に満たされてイエス・キリストの証人とされたい、イエス・キリストのよき香りを放つお互いとさせていただきたいと願います。