カテゴリー別アーカイブ: 礼拝メッセージ

毎週の礼拝で語られているメッセージを紹介しています。

あなたの罪意識は?

「あなたの罪意識は?」 Ⅰサムエル12:18~25      10月20日

今日は〝罪意識〟ということに心を留めたいと願っています。
罪意識です。みなさんの罪意識とはどのようものでしょうか。

1.恥意識の日本文化
日本では昔、親が子どもに教えたことは、〝人様に迷惑をかける人間にはなるな〟というものでした。ある方が〝日本は不思議な国で、原理・原則ではなく、人間関係社会である〟と指摘しています。それゆえに、日本は罪の文化ではなく恥の文化と言えます。
罪意識のない国にあって、それなりに真面目に生活をし、そして、人間としても、
何ら悪と思えることはしてはいない。警察の御厄介になったこともない、そのような中で罪を意識するということは容易ではありません。何か法律を犯して、捕らえられたとなると、罪を意識するかもしれません。しかし、ほとんどの人は、何か法律を犯したという人は、少ないでしょうから、罪を意識することは容易なことではないのです。
しかし、私も日本人として生まれ、人間関係社会という「恥の文化」に染まった、この私にも福音が届けられ、救いに与かったことを覚える時、人間関係社会の中にあって、神に対する罪意識のない日本の方々にも福音を届けることができると信じています。

2.罪意識を持つ必要
なぜ、罪意識を持つことが必要なのでしょうか。なぜ、聖書は人間の罪を指摘して止まないのでしょうか。それは、神は愛であるからです。
私たち人間は神のかたちに造られた存在です。神の語りかけに耳を傾け、神に語りかける、そのように神と親しい交わりを持つ存在として造られたのです。
その神のかたちに造られた最初の人アダムが、神の語りかけを無視して、背いてしまったのです。心が離れてしまったのです。神はどんなにか心を痛められたことでしょう。
そして、神は心が離れてしまった人間、神と親しく語り合うという神のいのちを失った人間に対して、その罪を赦すために、そして、永遠のいのち、神と共なる永遠のいのちを与えるために、ご自分の独り子イエス・キリストを私たち人間の世界に遣わして、
十字架におかけになったのです。神は私たちが罪あるままで、滅びてしまう存在とならないために、永遠に神と分離された滅びの世界に陥ることのないために、イエス・キリストの十字架の死によって、人間の罪を裁かれたのです。
そして、イエス・キリストを信じる者に、神との交わりの回復の特権を与え、永遠のいのち、神とともなる永遠のいのちを与えられたのです。
仏教では多分、人間は罪ある存在ではない、それが仏教の教える性善説だと思います。そして、私たち日本人はこの教え、この考え方の文化の中で生まれ、そして、生活をしているのです。しかし、人間に罪はないとする考え、教えが本当に正しいのでしょうか。
本当にそれは真理なのでしょうか。
そして、人間は罪ある存在でないとするならば、イエス・キリストが人となられる必要もなければ、まして、十字架にかかられる必要は全くなかったのです。
しかし、歴史は、神の御子イエス・キリストが十字架にかかって死なれ、葬られ、そしてよみがえられたことは歴然とした事実であることを示しています。

3.キリスト者の罪意識
罪意識は神意識と深くかかわっています。
神とどのような関りの中にあるかによって、罪意識が異なって来ます。
今日の聖書の箇所は、神がご自身の栄光を現わすべき民として選ばれたイスラエルの民が、神を求めず、周囲の国のように、国を治める王様を求めた民に対して、神は心を痛められ、預言者サムエルも心を痛めた箇所です。
サムエルは「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない」と言いました。サムエルはイスラエルの民のために祈らないことは、主の前に罪を犯すことになると意識していたのです。神のみことばを預かって民を教え、民を神に執成すべく召された預言者サムエルの罪意識です。
ペテロの手紙第一2:5「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります」とあります。クリスチャンは聖なる祭司だとペテロは言っています。
イエス・キリストを信じ、罪赦され、神の子どもとされている私たちクリスチャンは、誰でも皆、この世に対して祭司とされています。罪を赦されたという測り知れない恵みとともに、光栄ある祭司ともされています。
祭司、それは民を執成す務めという任務です。恥の文化という人間関係社会である日本ですが、神は先に救いに与かった私たちに、この同胞の民に対して、恥ではなく神の前に失われた存在であるという罪を意識するように、そして、その罪のために十字架にかかってくださったイエス・キリストの救いを宣べ伝えるように、そして、神を信じて救われる人が起こされるように、そのために執り成して祈るようにと語っていてくださいます。