カテゴリー別アーカイブ: 礼拝メッセージ

毎週の礼拝で語られているメッセージを紹介しています。

賢い人と愚かな人

「賢い人と愚かな人」  マタイ7:24~27         1月20日

 

聖書は何を「賢い人」と言い、何を「愚かな人」と言っているのでしょうか。今日の箇所に、同じことばが3つ出て来ます。

・「わたしのこれらのことばを聞いて」24,26節

・「自分の家を建てた」24、26節

・「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いて」25,27節

そして、対比も3つ出て来ます。

・24節「それを行う者」、26節「それを行わない者」

・24節「岩の上」、26節「砂の上」

・25節「倒れませんでした」、27節「倒れてしまいました」

そして、「自分の家」とありますが、これは自分の人生を表しています。この地上の自分の生涯です。そしてそれに伴う永遠をも示しています。 そして「雨、洪水、風」は、その人生の中で直面するいろいろな試練を意味しています。試練の全くない人生などというものはないことでしょう。晴れの日もあれば雨が吹き嵐になる日もあるように、私たちの人生もまた楽しく順境の時もあれば、辛い試練に会うという逆境の時もあります。どのような人の人生にも思いもかけぬ出来事に直面し、試練に出会うのです。

そして、一方の家は「雨、洪水、風」にも大丈夫であったが、もう一方の家はもろくも崩れ去ったというのです。イエスが話されたこのたとえで、結果は全く違ったものとなりましたが、何がその違いをもたらしたのでしょうか。

勿論、言うまでもなく、家を建てた土台の違いです。「岩の上」と「砂の上」の違いです。それでは、私たちの「人生の土台」とは何を表しているのでしょうか。それは何を信じて生きるか、何を確かなこととして信じて生きるかということです。私は今から45年前になりますが、初めて教会の集会に出席をして、その歌われている賛美歌に衝撃を覚えたことを昨日のことのように思い起こします。それはそれまで、知っていた歌とは違った歌であったからです。最初は気が付かなかったのですが、直ぐに分かりました。讃美歌には皆、神とのかかわりが歌われている。神への祈り、神への感謝、神が与えてくださった喜びと平安が歌われていることに気が付いたのです。神の存在と、その神を信じている人たちの歌う歌に出会ったのです。

何をお話ししたいかおわかりになると思うのですが、人の人生には二通りの人生があります。一つは神と関わりのない人生です。そしてもう一つは神と関わりがある人生です。

神との関わりのない人生は、自分でがんばって生きる生き方です。自分を頼りとして、自分自身を土台として生きる生き方です。しかし、皆さんは人生のいろいろな出来事に直面されて、自分を頼りとして大丈夫だったでしょうか。自分を最終的な拠り所として、思いもかけない出来事に直面して大丈夫であったでしょうか・・・。正直なところは、大丈夫ではなかったのではないかと思いますね。

ルカの福音書には同じイエスが話された話を次のように記しています。「その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています」、「しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています」(6:48,49)。ルカは神との関りのない人生は土台のない生き方だと言っているのです。自分を信じて、自分の力でがんばって生きる生き方は、土台のない人生、何か思い掛けない出来事に直面するともろくも崩れ去ってしまう人生だと言っているのですが、本当にそうではないでしょうか。

そして、神との関わりのある人生があります。聖書の語っている神は、天地万物をお造りになった神です。この地球も太陽系も、そして宇宙も造られた神です。青い空、空の鳥、小川の流れ、そして野の花を造られた神です。そして私たち人間を神の形に造り、神と親しく交わる存在として造ってくださった神です。しかし、人は神に造られた存在であるのに、その神との関係を失ってしまって(それを聖書では罪と言っているのですが)、自分が何者で、自分が何をしているのか分からないでさ迷う者と、私たち人間はなってしまったのです。

そのような私たち人間の救いのために、神ご自身の独り子イエス・キリストを十字架にかけて罪の贖いを成し遂げられた神です。「実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」神です。そして、今も私たちひとりひとりを愛してやまない神です。そして、私といっしょに歩んでくださる神です。その神を信じて、神と共に生きると言う人生、それが神との関わりのある人生です。

「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人」とイエスは言われました。「聞いて、それを行う」。「行う」というギリシア語は「ポイエオー」ということばが使われているのですが、その意味は、〝行動する、実践する〟、そして〝実を結ぶ、建物を建てる〟という意味もあります。ですから、イエスのおっしゃったことばを信じて、聞き従う、実践する、なら、それは岩の上に自分の家を建てることになるのです。

ですから、「賢い人か、愚かな人か」は、神と自分の関りにあると聖書は語っているのです。神を信じて生きる人は賢い人なのです。そして、神を神とせず、神との関りを拒む人を、聖書では愚かな人だと言っているのです。 “この地上の生涯を、神を信じて神と共に歩む人は幸いなるかな”です。神の御子であるのに私たちのために十字架にかかって贖いを成し遂げてくださったイエス・キリストに感謝をいたしましょう。そして、イエスのことばを信じて、イエスと共に人生を歩むお互いとさせていただきましょう。