神が望んでおられること

「神が望んでおられること」 Ⅰテサロニケ5:16~18    12月30日

2018年の最後の礼拝を共にささげることができます恵みを感謝しています。

「いつも喜ぶ」ことができるだろうか、「絶えず祈る」ことはできるのだろうか、そして「すべてのことにおいて感謝する」などということはあり得るのだろうかと、お考えになる方もあることでしょう。 しかし、神のみことばである聖書が語っているように、私たちはキリスト・イエスにあって、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことにおいて感謝することができるのです。

1.「いつも喜んでいなさい」とあります。

英語で幸せのことをハピネスと言いますね。ですから、幸せを感じて喜ぶ時〝ハッピー〟と言うのです。しかし、ハピネスということばは「ハプン・出来事」ということばから派生したことばです。ですから、周囲の状況によって、ある時は幸せだと喜び、反対にある時は周囲に起きる出来事によって不幸せと感じることになります。私たちの多くは、幸せと感じ、喜びと感じる基準を、自分の身に起きる出来事においているのです。出来事が自分にとって良いものであれば喜び、自分にとって良くないものであれば喜ぶことはできないのです。ある人はそのような私たちの心の有り方を〝寒暖計のような心である〟と言いました。周囲の温度によって上がったり、下がったりする寒暖計のように、周囲の出来事によって左右されることになるからです。

しかし、「いつも喜んでいなさい」とある聖書の提供している喜びは違うのです。喜びとする基準、土台が違うのです。ここで語られていることは、自分の身の周りに起きる出来事によって喜べと言っているのではないのです。身の周りに、どのような出来事が起きても、それは神の深いお考えから来ていることなので、「喜びなさい」と勧めているのです。ローマ5章3節に「それだけでなく、苦難さえも喜んでいます。それは苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです」とあります。

聖書が提供している世界は、「苦難さえも喜ぶ」世界です。天地万物をお造りになって、私たちを神の形にお造りになったお方、そして私たちのために、救い主を遣わしてくださった方がおられることを知る時に、神のなさることは、私たち人間の小さな頭と狭い心で考える以上のことを為さるお方であると信じる時に、神のなさることは神の深いお考えの下になされることを知らされて、苦難さえも意味があって、直面しているのだという確信と平安が与えられるのです。そして、忍耐することがいかに大切であるか、忍耐を学ぶ中で、私たちの品性が練られて、イエス・キリストにある測り知れない恵みの世界に希望を置く者とされる喜びに勝るものはないことを知るのです。 「いつも喜んでいなさい」のとある喜ぶ基準、土台は神様にあります。神に土台をおいているので、いつも喜んでいる世界が提供されているのです。

2.「絶えず祈りなさい」

「祈り」の本質的なことは、神に心を向けることです。いつでも、どこでも、私たちは神に心を向けることができます。 黙示録2:10「あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える」。少し個人的なお証になりますが、私が救いに与かってまだ間も無い、26歳の頃に私に大きな影響を与えた方に塚本正子師がおられます。腎不全になって人工腎臓透析を受けておられたのですが、まだ信仰の幼い私に向かって微笑みながら、こう言われたのです。「神様に喜ばれることが一番大切ね」。そのことばが私の信仰生涯に大きな感化をもたらすことになりまして、今現在に至っています。そして、先生はベッドから降りて椅子に坐っていつも祈りをささげておられました。祈っておられる姿、その真実な姿が私の瞼に今も焼き付いています。先生は2年余りで天に召されて行かれたのですが、死に至るまで忠実であったお姿を忘れることができません。そして、今にして思うのです。先生は信仰をもってまだ間もないヨチヨチ歩きのような私のために祈っていてくださったと思うのです。

33年の生涯を絶えず祈りの中で過ごされたであろうイエス、そして、絶えず神に心を向けて来たであろう多くの先達たち、私も絶えず祈る者とされたい、絶えず心を神に向けて歩む者とされたいと思います。

3.「すべてのことにおいて感謝しなさい」

感謝して歩めることほどすばらしい生涯はありません。その反対に、不平と不満、あるいは怒りと憎しみに満ちた心ほど、悲しく残念なことはありません。私たちは誰でも、イエス・キリストに出会うまでは、心に不平や不満、そして、怒りや憎しみが程度の差はあったとしても持っていたのではないでしょうか。あるいは、そうでなくても、すべてのことにおいて感謝することはできなかったことでしょう。なぜと思える不可解なことに直面したり、人からの冷たい仕打ちに会った時など、感謝などありえなかったことでしょう。

しかし、すべてのことにおいて感謝して歩める世界が提供されています。「御手の中で すべては変わる 感謝に わが行く道に現わしたまえ あなたの御手のわざを」という賛美があります。神の御手の中に置かれるならば、すべてが感謝に変わります。神さまが導いてくださる道のりを感謝して受け取る時、神の御手の不思議なみわざを体験することができます。子ども讃美歌に、「野菜、果物、海で取るもの、二親、兄弟、友だちなどを感謝します。感謝します。感謝します神様」「なにものよりも罪や過ちお赦しになるイエス・キリストをくださいました 父なる神に感謝します、感謝します、感謝します神様」とあります。

私たちが日々直面するすべての出来事は、神の愛と神の深いお考えの中で起きているのです。神を信じ、神を仰いで感謝して歩むお互いとさせていただきましょう。