最初の異邦人教会の誕生

「最初の異邦人教会の誕生」使徒の働き11:19~26  10月21日

 

今日の箇所は、使徒の働きの中でも重要な転換点の出来事が記してある箇所です。アンティオキアに至って初めて、本格的に異邦人社会にも福音が伝えられ、福音が世界的に伝えられることになったからです。

 

1.アンティオキア教会の誕生はどのようにして始まったか。

この働きは救いに与かった異邦人であるキプロス人とクレネ人たちが、アンティオキアでギリシア語を話す人々にも福音を宣べ伝えたことによって始まりました。救いに与かったという喜びのゆえに、福音を伝えないではおれなかったのです。すると何と大勢の人が信じて主に立ち返ったというのです(21節)。

そして、アンティオキアにおいて、大勢の人が救いに与かったことがエルサレム教会に知らされた時、エルサレム教会はバルナバをアンティオキアに派遣しました。4:36を見ていただくと分かりますが、バルナバはキプロス生まれのレビ人・ユダヤ人であったのです。

エルサレム教会はアンティオキアで救いに与かる人々が大勢起こされたことを聞いて、誰をその地に派遣するのがふさわしいか検討したと思うのです。そして、エルサレム教会は「聖霊と信仰に満ちている人」の中でも、土地柄のことを良く知っているバルナバが適任者であると判断したのです。

神は、私たち人間が主にあって考えたり、判断することをも尊重してくださいます。「主の御手が彼らとともにある」とは、主が主導権を取られるとともに、私たちをも用い、私たちの考えや判断をも導いてくださるお方であり、そして、働きを進めてくださるお方であることがわかります。

 

2.バルナバとサウロ

アンティオキアの働きは、名も無き異邦人たちによって始まった教会です。それは異邦人教会の出発としてもふさわしいものであったと言えます。

それとともに、その働きがこれからも神の祝福を受け、さらに拡大前進するために、神はバルナバとサウロを用いられたのです。

まず、バルナバに目を留めることにします。

23節、バルナバは「神の恵みを見て喜んだ」とあり、「そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました」とあります。

そして、バルナバは、24節「彼は立派な人で、聖霊と信仰に満ちている人であった」とある品性が、具体的にどのように現れているかも、この箇所で見ることができます。

バルナバによって「こうして、大勢の人たちが主に導かれた」とありますから、バルナバは自分が中心になって働きをさらに進めても良かったと思うのです。

しかし、バルナバはサウロを探しにタルソに行って、そして、アンティオキアに連れて来たのです。バルナバはサウロを表舞台に導き出したのです。彼はいつも自分を立てるよりも人を立てることに心を用いています。それが「聖霊と信仰に満ちた」バルナバの優れた品性だったのです。

「聖霊と信仰に満ちた」と言いますと、勇ましく力強く証しするようなイメージを持っておられる方があるかも知れませんが、バルナバを通して聖書の示していることは必ずしもそうではないようです。相手の話に耳を傾け、相手に神の最善がなされることを祈り求めている姿をバルナバに見ることができます。ですから、単に土地柄を知っているというだけではなく、バルナバのそのような品性のゆえに、アンティオキア教会に遣わされるように神が導いてくださったものと考えられます。

次にサウロに目を留めることにします。

一説によると、サウロがタルソにいた期間は8年近くになるのではないかと考えられています。その間のことは何も記されていませんし、何も分かりません。

サウロは復活のイエスに出会って劇的な改心をして、直ぐにアラビアに行きましたが、その期間は3年余り、そして、タルソで8年余り、ですから、救いに与かってから最低でも11年間、少しのタイムラグがあるでしょうから、12年か13年経過していたと考えられます。

イザヤ49:2「主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私をかくまい、私を研ぎ澄まされた矢とし、主の矢筒の中に私を隠された」とあります。サウロは研ぎ澄まされた矢となるために、10数年の年月が必要だったのです。

私たち一人一人にも、神のご計画の中で道のりが備えられています。

神が深い配慮と限りない愛をもって、私たちが神にまみえるにふさわしい者とせんために備えてくださっている道のりを、信頼をもって歩ませていただきたいと思います。

 

3、最後に、26節の「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」ということに心を留めて閉じることにします。

「呼ばれるようになった」というギリシア語は〝クレマ―ティサイ〟ということばが使われているのですが、それは〝神のお告げ〟という意味です。

同じことばは、ルカ2:26(シメオンに関して)「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた」となっています。へブル11:7「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに」となっていて、いずれも〝神のお告げ〟という意味です。

ですから、アンティオキアで神を信じる人たちがクリスチャンと呼ばれるようになったのは、人々からそう呼ばれるようになった、というのではなく、

神がアンティオキアの信じる者たちを、クリスチャンという名で呼ぶことを宣言された、ということなのです。

ですから、クリスチャンというのは、神から与えられた呼び名なのです。

イエスを信じた者をクリスチャンと呼ぶのは、神からの御告げなのです。

神がアンティオキア教会、異邦人によって始まった異邦人教会を、キリストにある者、キリストに従う者と神が受け入れ認めてくださったということです。

私たちもクリスチャンとされているということは、すごいことなのではないでしょうか。神がイエス・キリストのゆえに私たちを受け入れ、クリスチャンと宣言してくださっていることに感謝をささげましょう。