これは主が設けられた日

「これは主が設けられた日」 詩篇118:22~24    9月23日

 今日は詩篇118篇を開きました。今日は24節「これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう」を中心にして語りたいと願っています。

1.今日という日は神様が与えてくださった日である。
 日本では、日によって、大安、仏滅とか友引などがあって、その他にもいろいろあって順繰りに回って来ますね。火葬場は友引は休みです。死を忌み嫌って、友引の日に葬儀をしたならば、参列者が引きずり込まれて死ぬことを恐れているのかもしれませんが、友引の日には葬儀はできないのです。
 そして、祝い事は大安に行うのです。祝い事、特に結婚式は大体、大安の日を選ぶ人が多いようです。しかし、大安の日に結婚式をして、その人々は皆、幸せな結婚生活を送っているか、となると、そんなことはないですよね。

 聖書では、神を礼拝する日・聖日が定められていて、クリスマス、イースター、ペンテコステと、記念すべき日が定められていますが、今日は縁起が良い日、今日は縁起が悪い日などというのはありません。一日、一日は神から与えられた日であるというのが聖書の示している考え方です。
私たちのこの地上での生涯はそれぞれどのくらいであるかは皆、違っていますが、しかし、地上の生涯の一日一日は神から与えられている一日一日なのです。神が設けてくださった一日一日なのです。

2.今日という日を生きること。
 今日という日は神から与えられた日です。ですから、今日という日を大切にして、精一杯生きることができたならば、こんなにすばらしいことはありません。
 私たちはしばしば、昨日から持ち越して来たもので思い煩うことがありますね。昨日だけではなく、過去を引きずって、過去を持ち越して、いろいろと思い悩み、今日という日を大切に過ごすことができないことがあります。誰でも過去と無縁に生きることはできないからです。ですから、昨日のことを持ち越さないということは容易なことではないのですが・・・。
しかし、それでも、いえ、それだからこそ、今日という日は神から与えられた日であることに心を留めることが大切なこととなって来るのだと思うのです。
 そして、私たちは昨日のことではなく、先のことを心配して思い煩ってしまって、今日を大切にできないこともあり得ます。
 イエスは「明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります」(マタイ6:34)と言われました。
イエスの地上の生涯は33年余りでしたが、後でお話ししますが、イエスは十字架にかかられるためにご自分がこの地上に来られたことを良くご存じでした。ですから、イエスは十字架の死に向かって生きられたお方なのですが、一日一日を精一杯、イエスは生きられたのです。「苦労はその日その日に十分あります」という日々を過ごされたのです。

3.「この日は主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう」とは。
 神様が与えてくださった日の中には、悲しみを覚える時があります。いえ、悲しみどころではない苦しみと思える日もあることでしょう。心に深い痛みを覚える日もあります。そのような日を楽しみ喜ぶことなどできるのでしょうか。
J・E・ハガイというアメリカの牧師の方が『思い煩いからの解放』という本を出しています。彼は伝道者となってある教会に赴任したのですが、いろいろな問題・課題に直面してうつ病になってしまいました。しばらく休養して元気を回復しまして、自分の体験したことを証ししながら、思い煩いからの解放があるのだよと、本を出版することにしたのです。
 その本の中でハガイ師は自分のことだけではなく、家族のことも書いています。彼は神学校を卒業しまして、ある女性と結婚をしました。その女性は声楽家で、当時のアメリカで最も美しい声の持ち主として評価を得ていました。ですから、歌手として成功することもできたようですが、その女性はそのような道ではなく一人の名もない牧師と結婚する道を選んだのです。
 そして、二人に待望の男の子が生まれました。しかし、その子は重い障害を背負って生まれて来たのです。何人もの医者がこの子のいのちはそんなに持たないと宣告したそうです。
それから、その母親であるハガイ夫人の看病が始まりました。3時間ごとに特殊な装置でミルクを与えるために、彼女は2時間としてまとまった睡眠を取ることができなくなりました。そして彼女が美しい声で歌うことも、教会学校の子どもたちにお話しすることもなくなりました。彼女は小さな部屋でほとんどの時間、息子と二人きりの生活となったのです。
 夫のハガイ師のことばを借りるならば、ハガイ夫人は悲しみと絶望の中でもみくちゃにされて精神的におかしくなっても何ら不思議ではない境遇の中で、彼女は主を仰いで一日を生き抜くすべを得たようです。一日を主を仰いで生き抜くという日々を送る中で、多くの人が彼女の輝きに目をみはるようになったそうです。多くの芸能界などで活躍する人々がいろいろと着飾っても手に入れることの出来ない輝きを彼女は持っているというのです。

 J・E・ハガイ夫人は、一日一日は神から与えられた日であり、自分の置かれている境遇も神からのものであることを受け入れ、思い煩いから解放され、神にすべてをゆだねて一日一日を大切な日として、息子に愛を注いだのではないでしょうか。そのような中で、うるわしい品性と輝きを身に着けたのだと思います。
 (ローマ5:3、4)「それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです」とあります。ハガイ夫人は正にこのみことばの証人と言えます。

 そして、最後に、22節に心を留めたい。
「家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった」
この石はイエス・キリストを指しています。
(使徒の働き4:10~12)
11節の「捨てられた」ということばは、他の箇所(マルコ9:12)では「蔑(さげす)まれる」と訳しています。
イエスは人々に蔑まれ見捨てられました。神の御子であるお方なのに蔑まれ、そして見捨てられたのです。愛する弟子たちにも見捨てられました。そして父なる神にも見捨てられて十字架にかかられたのです。十字架にかかられ、よみがえって今も生きておられるキリストにあって、すべての人に救いの道が開かれています。
 イエス・キリストにあって、「これは主が設けられた日」として、一日一日を感謝して迎えることができます。そして、イエス・キリストにあって、「この日を楽しみ喜ぼう」という世界がすべての人に提供されています。どうぞ、それをご自分のものとなさってください。