内なる人は日々新たに

「内なる人は日々新たに」 Ⅱコリント4:16~18        9/16
 
 16節から18節に、それぞれ対照的なことばが出て来ます。今日はその対照的なことばに心を留めたいと願っています。
16節は「外なる人」と「内なる人」、17節は「一時(いっとき)の軽い苦難」と「重い永遠の栄光」、そして18節には「見えるもの」と「見えないもの」。

1.まず、人は年を重ねると、外なる人は衰えるという現実があります。
体力の衰え、記憶力の衰え、そして気力の衰えです。
私たちは、年を重ねるに従って、外なる人は衰えるという現実に直面します。
しかし、聖書は外なる人が衰えるという現実の中にあって、「内なる人は日々新たにされています」という世界を提供しています。
 神と関わりのない人生であるならば、外なる人が衰えるとともに、内なる人も衰えて行くことになることでしょう。若く、あるいは働き盛りの時には、社会において活躍する機会があった人も、退職し、年を重ねる中で、それまでの仕事の生き甲斐や、いろいろな人間関係が少なくなって行くと、内なる人は衰えて行くものです。
 しかし、神の救いに与り、神との交わりが与えられていると、神が与えてくださる不思議な感動の世界は尽きることがありませんので、内なる人は日々新たにされるのです。
 そして内なる人というのは、二つの世界に理解が日々深まることを表しています。
◇一つは自己理解です。
この書簡を書いたパウロという人は、復活のイエスに出会う前は自分に自信を持っている人でした。彼は実際、エリート中のエリートであったのです。しかし、イエスに出会って彼は変えられて、「私たちは、この宝を土の器の中に入れています」(4:7)と、自分のことを金や銀の器ではなく、土の器であると言ったのです。彼は謙虚な人とされて行く生涯に導かれたのです。
◇もう一つは神理解です。私たちが知っている神に対する理解、神の世界の恵みは、本当はほんの一部分なのかも知れません。みことばを通して、そして日々に直面する事柄を通して、神は私たちに新鮮な神理解へと導こうとしておられるのではないでしょうか。
人は神の恵みの世界がどのようにすばらしいものであるかに目が開かれて行く時に、
自分に対する自己理解も謙虚なものとされて、内なる人は日々に新たにされるのです。

2.「一時の軽い苦難は」
イエス・キリストが十字架にかかって罪の贖いを成し遂げてくださったのは、全ての人のためでした。しかし、当時のユダヤ人たちは自分たちは神に選ばれた特別な民であるとの選民意識に凝り固まっていまして、ユダヤ人以外の人々に福音を伝えることをほとんど意識していなかったのです。
 しかし、神はパウロを異邦人の使徒として召されましたので、パウロは同胞であるユダヤ人に対する情熱とともに、異邦人であるユダヤ人以外の人々にも福音を伝えんとして労しました。それゆえにユダヤ人から迫害を受け、多くの苦難に直面したのです。
 しかし、それらのことは、やがて神と顔と顔とを相まみえる時にもたらされる栄光を思えば、何の大変さもないことであると言っているのです。
 パウロはやがて神と顔と顔とを相まみえる時、「今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」(Ⅰコリント13:12)と神を完全に知る栄光に与かると述べています。
 新聖歌227番3節に、“わが命 尽きるその時 キリストは栄の冠与えんと 誓いたまえば 今日もまた みわざに励まん キリストの愛 我に迫れば わが命 君にささげて ひたすらに 主のために生く”とありますが、年を重ね、いのち尽きるその時まで、イエス・キリストの恵みによって悔いのない歩みをしたいものです。

3.18節「見えないものにこそ目を留めます」
 「外なる人」は「見えるもの」を見て生きていますが、「内なる人」は「見えないものにこそ目を留めます」。「見えるもの」がどんなに魅惑的なものであったとしても、それは一時的なものであり、移り変わり、ついには過ぎ行くものであるからです。しかし、
「見えないものは永遠に続くからです」。
『星の王子さま』(サン・テクジュペリー)
きつねが王子にこんなことを言う。「なに、なんでもないことだよ、心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ。肝心な事は目に見えないんだよ」。
 確かに、肝心な事は目に見えないのです。
そして目に見えるものは大抵の場合、お金で買えますが、目に見えないものはお金では買えないのです。愛にしても信頼にしても。
 ですから、目に見えないものに目を留めて生きることほど私たち人間にとって必要なことはないのではないでしょうか。
神を心にお迎えするならば、そして神がともにおられるならば、「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」という世界が広がっています。