求めなさい。そうすれば

「求めなさい。そうすれば」 マタイ7:7~11      6月10日

 

7節に「求めなさい」とありますが、私たちは誰でも皆、求めて来たのではないでしょうか。一度も何も求めたことがない、そして、すべての人が共通して求めたこともあったはずです。それは「幸せ」です。すべての人は誰でも皆、幸せを求めて来たはずです。

そして「探しなさい」とあります。

私たちはいろいろなことを探して来たと思うのですが、誰でもが皆、同じように探したことは、本当のことは何かということです。真実はいったい何なのか、本当に信じて大丈夫なものは何なのか、ということであったはずです。

そして「たたきなさい」とあります。

私たちはいろいろな壁と言いましょうか、自分の目の前に立ちふさがるものに対して、それを乗り越えたいと願って、たたき続けて来たのではないでしょうか。こんな自分を変えることができたならば、という壁です。

 

今、私たちが求めたこと、探したこと、たたいたことをみて来ました。

ところで、皆さんは求めたことを手に入れられたでしょうか、探したものを見つけなさったでしょうか、たたいて開かれたでしょうか。多分、そうではなかったと思うのです。それは、神と無関係に生きているからです。

神が天地万物を造られ、私たちを神のかたちに造られ、神と親しく交わる存在として造られ、そして神がすべてを治めておられる世界にあって、神と無関係に生きるならば、幸せを求めても、魂に喜びと平安に満たされるという神のかたちに造られた人間本来の幸せを得ることはできないのです。また、本当のことは何なのか、本当の真理は何なのかを探しても見付けることができないのです。そして、いくら、たたいても、自己中心という罪から解放されることはないのです。

 

しかし、8節「だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます」とありますが、神がおられるので、その神に求める者は受けることができるのです。神を信じるならば、だれであれ、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれるのです。

この箇所は祈りが記されている箇所です。祈りです。求めです。

私たちは誰でも求めているのです。ことばを変えて言うならば祈り求めているのです。

もうおわかりになったと思うのですが、誰に祈るか、誰に求めるかが大切なのです。

 

9節「あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか」とあります。海岸にある小さな石はだいたい丸くなっています。ちょっと見ると、小さなパンのかたまりに似ています。しかし、似ているからと言って親は自分の子にパンの代わりに食べることのできない石を与えるでしょうか。そのようなことをする親は誰もいません。

10節「魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか」とあります。

ここで「蛇」とあるのは、「うなぎ」のことを言っているようです。皆さんの中には鰻が大好物という方もおられるかも知れません。しかし、ユダヤ人たちには、鰻は食べてはいけない食物であったのです。(日本にも精進料理というのがあります)

ですから、子どもが魚をくださいと言うときに、親は食べてはいけないものを出すことはしない、そうではなく、11節「良いものを与える」とイエスは言われたのです。

 

私たちが神に求めるならば、神は良いものを与えてくださるのです。

私たちが神に求めさえすれば、神は私たち人間にとって最も幸せな生涯に導いてくださるのです。私たちが神にあって探すならば、本当のこと、本当に信じて大丈夫は真理を知ることができます。イエス・キリストを知り、イエス・キリストを信じるならば、私たちは何にも代えることのできない真理を手にすることができます。

そして、神を信じるならば救いの生涯が開かれます。

もう大分昔のことになりますが(20年程前)、ある旅行会社がある企画をしました。中東の砂漠を10日間ほどかけて歩いて渡り切るという冒険に満ちた企画でした。その冒険旅行に30名近くの参加者があったのです。彼らの多くは仕事を休んで休暇を取って参加したようですが、その彼らがその冒険旅行に参加した動機は何だったかと言いますと、砂漠を歩いて渡るという普段できない冒険を通して自分の人生の意味を見い出すことができるのではないかと思って参加した、という人がほとんどであったのです。あるいは、その冒険旅行を通して人生の意義を見い出した方があったかもしれません。

しかし、私は思うのです。神の救いに与って、神が備えてくださっている私に与えられた生涯を神とともに歩む以上のすばらしい冒険はないと・・・。

神を心に受け入れ、神が導いてくださる道を神と共に歩むことが許されたならば、私たちの思いをはるかに超えて素晴らしい生涯に神は導いてくださいます。

神なしでは決して味わうことのできない、生きることの喜び、人生の醍醐味、そして、喜びも悲しみも含めて、すべてのことに神の深い配慮と知恵がなされていることに目が開かれることでしょう。他の誰の人生でもない、他の誰とも比較することの必要のない、私に与えられている人生のすばらしさに目が開かれる世界が提供されています。

イエス・キリストはその世界を、私たち一人一人に提供するために十字架にかかってくださいました。どうぞ、イエス・キリストを心にお迎えなさってください。神を信じて生きる道に一歩踏み出してみてください。そうするならば、あなたの心と人生は確かに今までとは違った世界に導かれます。