聖霊のバプテスマ

「聖霊のバプテスマ」 使徒の働き 1章3~8節        1月7日

 

新しい年の最初の聖日の朝を迎えました。

この年も主の恵みが皆様の上に豊かにございますようにお祈りいたしております。

昨年の11月で、イエス・キリストの生涯の連続講解説教を終えましたので、これからは、「使徒の働き」から連続講解説教をすることといたします。

イエスは父の元に帰られるに当たって、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」という世界宣教命令を与えられました。そしてそのために、都エルサレムに留まって父の約束を待つように、と語られました。

 

  1. 聖霊のバプテスマとは

5節に「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」とあります。二つのバプテスマを整理しますと、「水のバプテスマ」は立場の変化を表し、「聖霊のバプテスマ」は実質の変化を表しています。滅びではなく、永遠のいのちを与えられたという立場の変化だけでも感謝なことです。驚くべき特権と恵みです。しかし、イエスはさらに私たちを実質の伴った者としてくださると言うのです。測り知れない恵みですね。

イエスは、あなたがたはその「聖霊のバプテスマ」をまもなく受けるから、4節「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と言われたのです。

しかし、なぜ、「エルサレム」を離れてはいけなかったのでしょうか。

かつて、イエスはサマリヤの女に対して、「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます」(ヨハネ4:21)と言われたことがありました。ですから、エルサレムにこだわる必要はないとも言えます。

しかし、イエスはここで、「エルサレムを離れないで」と言われたのです。

弟子たちは、イエスが十字架にかかられた場所であり、また自分たちもイエスを拒んだという失敗の場所であるエルサレムから離れ去ろうと考えていたのです。しかし、イエスはその場所エルサレムを離れてはいけない、その所で、父の約束を待つようにと命令されました。

 

  1. なぜ、聖霊のバプテスマが必要なのか。

パウロは「私たちは、真理に逆らっては何もすることができず、真理のためなら、何でもできるのです」(Ⅱコリント13:8)と言いましたが、弟子たちは迫害の恐れのゆえに尻込みするのではなく、真理に生きる者とされるために、自分たちには信仰の実質が欠けていることが良く分かったのです。

ですから、イエスが約束された聖霊のバプテスマを受けることがどうしても必要であったのです。天におられるイエスの働きをするにあたって、聖霊のバプテスマを受けることが、弟子たちに必要とされた唯ひとつのことであったのです。

神のみわざは、何の失敗も落ち度もない人になされるのではありません。

いえ、弱さと失敗に満ちた者にこそ、神はみわざをなさるのです。そして、そのような人たちを通してこそ、神の働きは進められるのです。

 

3.聖霊のバプテスマのもたらすもの

8節「しかし、聖霊が・・・わたしの証人となります」

◇エルサレム:私たちに当てはめるならば自分の弱さや失敗を知られている最も身近な家族の関係であるかもしれません。夫と妻の関係、親と子の関係、兄弟の関係において、神はみわざをなしてくださるのです。関係が損なわれていたり、傷付いていたり、疎遠であった所に、和解をもたらし赦しをもたらすことが神のみわざなのです。そして、神はまず最も身近な関係から始められるのです。

◇そして、ユダヤとサマリヤの全土:それは私たちにとってはもう少し広い範囲の

知人・関係者を表しているのかもしれません。神はそのような方々との関係においても、私たちをイエスの証人としてくださいます。

◇そして、地の果てにまで:物理的な地の果ても勿論大切なことです。地の果てにまで、イエスの証人となった方々の存在のゆえに、日本にも福音が届きました。しかし、物理的だけではなく、人間的に少し苦手な人であったり、いやそれ以上に困難を覚えざるを得ないような関係においても、神は私たちをイエスの証人としてくださるのです。

私たちは自分を理解してくれて、自分と気の合う人との交わりは楽しく、そのような人々が周りにいることを願い易い者です。しかし、神はときとして、少し苦手だなあという人を自分の近くに置かれることがあります。しかし、そこには神の深い配慮がなされています。私たちがこの地上にあって触れ合う人は限られていますが、その限られている人々との触れ合いに神の深い愛と配慮があるのです。

それは、少し苦手と感じたり、困難を覚えるような人間関係を通して、神は私たちの心をきよくして、イエスの十字架の死はこのような自分のためであったことの重みをさらに知る者とされて、イエスの証人としてふさわしい者と整えてくださるのです。

イエスの証人とされる以上の光栄はありません。この年、神の愛と恵みが私たちの内に、そして私たちを通して豊かに現わされるように祈りましょう。