預言の成就

「預言の成就」  マタイ1:18~23          12/17

 

アドベントの第三週となりまして、来週がクリスマス礼拝となります。今日は、22節,23節を中心に心を留めたいと願っています。

神が語られたこと、神が約束されたことは必ずその通りになる。これは聖書の語っていることです。そして私たちが信じていることです。

 

1.預言者の存在。

救い主の誕生という出来事に直接かかわる当事者と、ユダヤの民に知らせるに当たって、神は御使いを送られたのです。聖書には確かに御使いが登場して来ます。しかし、聖書全体から見るならば、御使いの働きはごくごく限られた範囲のことなのです。

何かを知らせるという使いの役割ではなく、神はご自身の愛、ご自身の約束、そして神が私たちに願っておられること、そして神が私たちになそうとしておられることの、そのほとんどと言っても良いくらい、実は、預言者を通して語られたのです。

神は預言者である人間を通して、神のみこころ、神のきよさ、そして神の愛を伝えることを良し、となさったのです。

この箇所の23節「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名は

インマヌエルと呼ばれる(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)」。これは、イザヤ書7:14の引用です。

イザヤは不思議なことを言いました。「インマヌエル“神が私たちとともにおられる”」そのことは、信仰を持って聞くならば、アハズ王もイスラエルの民もわかることであったかも知れません。しかし、イザヤは、「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」と言ったのです。

今、国は存亡の危機にあるかも知れないのに、赤ちゃんが誕生したからと言って、直ぐに直接的に目に見える形での助けでも何でもないではないか、アハズ王はイザヤの預言を理解することができなかったのです。

そして、確かにイザヤがこのことを預言して、直ぐにそのことが起った訳ではありません。そして、イザヤ自身も地上の生涯の中でそれを見ることはできませんでした。自分の語ったことを見ることはできなかったのです。しかし、イザヤは神が語るように示されたことは、その時が来ると必ず成ると信じることができたのです。彼は信仰によって、将来の救い主キリストを見ることができたので、預言することができたのです。

神は預言者を通して語られました。救い主の誕生と言う聖書の中心テーマです。すべての人類の救いに関わる重大な出来事です。神はこの重大な出来事をイザヤという預言者、人を通して語られたのです。

 

2.「このすべての出来事は」。

神のことばが成就するに当たっての当事者の存在です。マリヤとヨセフ。

①マリヤ:御使いがマリヤに告げた内容:聖霊によってみごもるとは、マリヤにとって驚き以外のなにものでもありませんでした。また救い主の母になるとは、正に“晴天の霹靂”であったことでしょう。しかし、マリヤは「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と、信仰をもって受け止めたのです。

②ヨセフ:18節、19節

ヨセフはマリヤが身重になったことを知って、どんなにか驚き悩んだかと思う。しかし、彼は正しい人でしたので、マリヤをさらし者にしたくなかったので、内密に去らせようとしました。しかし、20節、それでも彼はなお思い巡らしたのです。そして、ヨセフが思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れたのです。

「時」の不思議さを思う。神が与えてくださる時の不思議さを思います。私たちは悩みのとき、苦しみのとき、それが早く過ぎ去ってほしいと願います。悩みや苦しみを歓迎する人はいません。しかし、悩みや苦しみは、本当は、神から与えられた大切な時なのかも知れません。

マリヤにとっては救い主の母になるという晴天の霹靂のような出来事でした。ヨセフにとっては悩み苦しむという心の葛藤を通りました。しかし、「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった」のです。

聖書の中心テーマである救い主の誕生が成就するためであったのです。このすべての出来事、驚き、恐れ、悩み、苦しみ・・・これらすべては預言者を通して語られた神の約束が成就するためであったというのです。

 

私たちも様々なことに直面いたします。

どうして、なぜと思えること、悩み苦しむ中を通ることがあるかも知れません。しかし、それら全ての事柄は神と関わりなく偶然に起きているのではないのだと聖書は語っているのではないでしょうか。すべて神の深い配慮の中で起きているのだと聖書は語っているように思います。

私たちが神から離れている自分の本当の姿に目が開かれ、私たちの救い主であるイエスを心にお迎えするように、罪を赦され、インマヌエル“神が私たちとともにおられる”という救いがどんなにすばらしい世界であるかを自分のものとするようにと、神の計り知れない愛のゆえに、様々な出来事に直面させてくださるのだと思います。

 

現代の私たちも、ある意味において、神のみことばが実現するための当事者であると言えます。そのことが全ての人に確かなこととなるために、主が預言者を通して語られた通りに、イエス・キリストは処女マリヤの胎から産まれ、人となってくださいました。

神であるのに、人となられ赤子となって来てくださったお方を心に迎え入れ、このお方に感謝と賛美をささげる心の備えをいたしましょう。